ペルソナ4 ザ・ゴールデン

最近RPGがクリアできなくて困っている。元々飽き性なことに加えて、歳を食ってからというものプレイ間隔がちょっと空いただけで進捗状況を忘れてしまい、そのまま放置という事態が後を絶たない。ゲーム側にというよりは自分自身の問題であるように思えるが、だとするとこれは余計に根深いものなんじゃないかと目下のところ悩まされている。

しかし、そんな状況に一筋の光明が差してきた。それは、携帯ゲーム機の日進月歩の進化だ。DS・PSPの登場も十分に衝撃は大きかったが、今世代機である3DSPSVitaは個人的に一つのターニングポイントと言っていい。

据え置き機の進化が技術の最先端を行くのに対して、携帯機はいわば技術の後追いだ。映像処理云々ではなく、一世代前の据え置き機の技術をコンパクトにまとめ、どこにでも持ち運べるようしたことに最大の意義がある。実際PSPの売り文句として、「PS2のゲームを持ち運ぼう!」みたいなやつがあったように記憶している(実際PS2のクオリティーには届いていなかったが)。

そんな風潮の元進化を続ける携帯ゲーム機が、今世代である種の完成形を僕に見せつけた。3DSPSPを超える映像表現に3Dという独自要素を持たせ、PSVitaはタッチスクリーンや右スティックの追加で据え置き機に勝る操作性を実現した。今、まさにPSPの売り文句だった「PS2のゲームを持ち運ぼう!」が実現された形である。

凄い、とんでもない進化だ。ゲームボーイ時代から考えると、今世代の携帯ゲーム機はドラえもんの秘密道具か何かなんじゃないかと思わせるほどの、ビジュアル的にもスペック的にも大幅に成長した「近未来」仕様と言える。しかし、それは僕の据え置き機への情熱も同時に冷めさせてしまったことに気付かされた。正直ここまで来ると携帯ゲーム機だけで十分楽しめるんじゃないか。PS2クラス以上の表現力に場所を選ばない利便性が加わったら据え置き機なんていらないんじゃないか。そんな思いが渦巻く中、今回『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』(通称「P4G」)をプレイすることで、皮肉にも僕はその思いをより強くすることとなる。

※書いている人はペルソナシリーズ初プレイです。『P4G』の感想というよりは、『ペルソナ4』自体の感想+PSVitaで遊べる意義みたいな構成になっています。

ペルソナ4』というゲームの最大の魅力を考えてみると、

稲羽市という生きた街で、誰もが憧れる青春に満ちた高校生活を送れることにあるんじゃないかと僕は思う。それを強く感じさせたのが、高校生活の中心となる日常パートの自由度の高さ、そしてそのゲーム内における重要性だ。

今作は一般的なRPG作品の多分に漏れず、戦闘を繰り返すことでレベルを上げていき、立ちはだかるボスを倒して物語を進めていく。また今作をペルソナシリーズたらしめる要素として、「ペルソナ育成」は特徴的なシステムの一つだ。ただ何よりも特徴的なのは、シミュレーション・アドベンチャー要素の強い日常パートがゲーム全体の半分以上を占めるところだろう。

プレイヤーは、この稲羽という街で文字通り高校生として生きることとなる。日々学校に通い、授業を受けて、飯を食べ、放課後は遊び、テスト前は勉強に力を入れ、たまには部活に顔を出す。それはまさに日本の高校生が送る「平凡」な毎日だ。平凡は退屈という意味合いも秘めているが、同時に平凡だからこそ誰にも共通する記憶であり、思い出である。そして、今作ではその価値ある平凡な高校生活をロールプレイできることに最大の意義がある。

僕が(本当に今更ではあるのだけれど)感心したのは、この日常パートが戦闘パートにも影響して相互作用を起こし、キチンと意味を持たせている点だ。日常パートでやれることは多岐に渡るが、その中の一つに知人との仲を深めるという要素がある。今作ではこれを「コミュニティ」と呼び、仲良くしていくことをシステム的に「コミュ強化」と呼称している。このコミュニティを強化することで何が起こるのかというと、ここからが戦闘パートに影響を及ぼす点なのだが、ペルソナ育成や仲間との連携において様々なアドバンテージを生み出してくれるのだ。プレイしていると分かるが、割とこのコミュ強化によるボーナスがゲームを進める上で重要なことに気付かされる。そして、プレイヤーはダンジョンに潜る前にコミュニティの強化に努めたいと自然に思うようになる。

このバランスは見事だ。日常パートがただの飾りではなく、ゲームの基盤としてちゃんと機能している。そしてこのコミュニティもよく作られていて、主要キャラからサブキャラに至るまでそれぞれのサイドストーリーが用意されているのは、これ以上ないほどにプレイヤーのモチベーションを刺激してくれる。

「高校生活を送る」という観点からも、このコミュニティの要素は切っても切り離せない。主要キャラは元より、部活や街で出会った人々との付き合いを通して、彼らの悩みに触れ仲を育んでいくのは確かなリアリティがあり、様々な人との繋がりで成り立っている充実した高校生活であることを後押しする。また同世代の女性キャラとは最終的に恋仲になることも可能で、専用のクリスマス・バレンタインデーイベントが用意されていることには感動した。仕様上何人とも同時に付き合えるというのは何ともゲームらしいが、それも自由度の高さと言えるし何より笑えるので普通にアリだ。

先ほど「生きた街」という表現を使ったが、

これは嘘でも誇張でもなく、この稲羽という街が本当に実在するのではないかと感じるほどのリアリティがそこにはある。

今作では、ゲーム的な言い方をすればこの稲羽市が拠点となり、他に街と呼ばれるものは存在しない。始まりから終わりまで、稲羽市という片田舎で物語は展開される。故にプレイヤーの活動範囲は限定されるわけだが、その分街で出来ることは多く、また街自体もよく作り込まれていて、暮らす人々にもそれぞれの生活感がある。分かりやすい例として、『英雄伝説 零の軌跡』が挙げられるだろうか。拠点以外にも複数街が存在するなど多少の違いはあれども、中心となるロケーションの作り込みという観点では同種の職人魂が感じられた。

やれることは多岐に渡ると書いたが、具体的にどんなものがあるか挙げてみよう。「高校生の放課後の過ごし方」という切り口から見ると、まずは部活が挙げられる。今作では運動部にも文化系の部にも入ることが可能だ。そこでの出会いはまた大きな財産となるだろう。そういえば僕は帰宅部だったが、そんな寂しいヤツにも応えてくれるのが今作の魅力の一つだ。部活じゃなければ、街に出向いて映画を見るのもいい。図書館で引きこもるように勉強するのもアリだ。腹が減っているなら地元密着型の中華料理店に足を運ぶのも選択肢の一つだろう。

その街は、そしてそこで暮らす人々は確かに「生きて」いるのだ。時間の経過と共に彼らのセリフは逐一変更され、中にはプレイヤーの行動等が影響して発言が変わる者もいる。彼らは彼らなりの悩みを持っていたりして、そこにプレイヤーが介入することはなくとも、物語が進むことで何かしらの展開がある。プレイすることで、成長しているのは主人公たちだけじゃないと気付かされるのだ。『零の軌跡』と同様に、この『ペルソナ4』という作品でも、「モブに話しかけることの楽しさ」が実現されているように思えた。

さて、それでは次に日常パートから離れて

戦闘パートについて軽く見てみるとしよう。今作が特徴的なのは、やはりタイトルにもある「ペルソナ」システムだ。

このペルソナという言葉には、ラテン語で「人」や「仮面」という意味があるらしい。シリーズではこれを心の奥底にある「もう一人の自分」と解釈し、それを操ることで戦っていく。ストーリー的位置付けでは似て非なるものだが、ゲームシステム的にはかみ砕いて言えば『ポケモン』に似ている(もっと正確に言えば『テリワン』だったりするのだろうが、ここは便宜上『ポケモン』で通す。まあそれらのタイトルも元を辿ればこの『ペルソナ』や『女神転生』に行き着くのだろうけど…)。

少し脱線するが、僕は『ポケモン』が苦手だったりする。世代的に初代は小学生中盤くらいだからドストライクで、実際金・銀までは楽しんでいた。だが大人になり、ポケモンには途方もないやり込み要素である「努力値個体値」があることを知った。そして、変に完璧主義(でも結局どこかで妥協する言わばエセ完璧主義)な僕にはこの仕様はあまりに酷だった。そんなことは気にせず普通にゲームを楽しめばいいということを理屈では理解しながらも、身体が追いつかないでいる。なぜなら見過ごせるほどの器用さもなかったから。『ポケモン』からひっそりと距離を置いた瞬間だった。

そんな僕ではあるが、似たシステムを持つ今作をプレイしてもアレルギーを発症することはなかった。無論、今作は『ポケモン』とは違って対戦プレイなども想定されておらず、そもそもゲームデザインが全く違う。比べることが間違っているのだが、ここではそれを問題としない。似たシステムをもちながらも、拒否反応を起こすことのなかったという懐の広さが重要なのだ。

プレイしていて気付いたが、思いのほか適当にペルソナ育成を繰り返してもどことなく強くなっていくことができ、物語も問題なく進めることができる。ペルソナの数もポケモンほど多いわけでもなく、かと言って選択肢が限定されるほど少ないというわけでもない絶妙さだ。またスキルの種類に関しても同様のことが言え、僕のような物臭初心者にも優しいシステムのように感じられた。最後までプレイできたのは、こういったシステムの柔軟性によるところも大きい。やり込みの限界がある程度のラインで見えるというのは、今の僕にとってとても助かることみたいだ。

これほどの完成度を誇るゲームを

特に場所も選ぶことなく、据え置き機と遜色のない操作性でプレイできるというのは、改めて凄い時代になったものだと痛感する。それもPSVitaというハードは有機ELの恩恵もあり、小さい画面というデメリットを吹き飛ばす臨場感を演出することに成功している。特にそれが感じられるのはイラストなどの一枚絵やアニメーション。発色が良いから液晶の見え方とは一線を画し、アドベンチャーや今作のような立ち絵が用意されている作品とは特に相性がいい。これだけでも、PSVitaで普及の名作が移植されることに意義が感じられる。

また、プレイ時間を電車などの移動中にも取れることが大きな魅力だ。正直言って、僕にとって今作はちょっとボリュームあり過ぎだった。感覚的にはマックのビッグマック三個たいらげたくらいの満腹感。実際クリアしてからのプレイ時間を見たら90時間を超えていて、最近の散々なプレイ状況を鑑みても、よくもまあクリアできたなと自分自身に感心してしまったほどだ。それはもちろんこの『ペルソナ4』というゲームがとてもよく出来ていることが最大の理由なんだけれど、やはり「携帯ゲーム機でプレイすることができた」ということも忘れてはならない要因だろう。それほどまでに、今作は携帯ゲーム機でプレイするRPGとしてはボリューミーであり、またそれに見合う価値が詰まっていると僕は思う。

ただ、最初に書いた通りこれはとても危険だ。あくまで個人的な話ではあるが、携帯機でプレイするものとしては満足度が高すぎるだけに、据え置き機でプレイしようという気が起きなくなってしまっている。携帯機の進化は据え置き機とのボーダーレス化を生む…などと大げさなことを言うつもりはないが、少なくとも僕の中ではそんな感じになりつつあるのかもしれない。これは良いことなのか、果たして…。

総評

ペルソナ4』とは本当に良くできた作品だ。シナリオや戦闘システムは言わずもがな、何より目を引くのは舞台となる稲羽市の圧倒的なリアリティ、そしてそこで送る青春に満ちた高校生活の楽しさだ。僕のような高校生活に若干の後悔を残している人にとっては、より理想とする暮らしがそこにあるだろう。勉強しまくってナンバーワンを目指すこともできるし、友達と殴り合って親友になることもできる。はたまた彼女を作りまくって女遊びに興じることも可能だ(これが理想なのかは別として…)。

また高校生という多感な世代は、人間的に大きな成長が見られる時期でもある。作中では一年間という時期が設定されており、その上で実際のプレイ時間は100時間に満たないほどではあるが、プレイすることで主要キャラの一年を通した成長が確かに感じられる。それは物語の構成の妙が光っていたのもあるし、充実のサブイベントでその一年により説得力を持たせていたことにも起因するだろう。とにかく開発陣の妥協を許さない作り込みが光っており、改めて今作全体を俯瞰してみても、その圧倒的な完成度にただただ驚かされるばかりだ。

そんな作品を最先端の携帯ゲーム機でプレイできるというのは、これはもう反則だ。移植だろうとなんだろうと、未プレイの者にとってはありがたいことこの上ない話である。3DSでもアリっちゃアリだが、『ペルソナ』というシリーズの相性を考えた時、PSVitaという選択は正解だったように思える。転じて『女神転生』の新作は3DSで開発されていたりと、アトラスにも色々思惑はあるみたいだが、それはまた別の話。

兎にも角にも、世間的にはあまりにも今更ではあるがペルソナシリーズを『P4G』で初プレイしてみた。そして、発売タイトルが極端に少ないPSVitaにおいて、移植である今作が最初のキラータイトルと言われた所以を改めて理解した。クリア後だからこそ断言できる。これは今年最高の移植作品だ。

ペルソナ4 ザ・ゴールデン - PSVita

ペルソナ4 ザ・ゴールデン - PSVita