エスケヱプ・スピヰド

第18回電撃小説大賞 《大賞》 受賞作

あらすじ

「鬼虫」と呼ばれる兵器があった。かつての戦争ではその圧倒的な性能をもってして、他国に大きな脅威とされていた八洲国軍が誇る戦略的戦闘兵器。全部で9体製作されていた鬼虫は、かの戦争でその内7体が大破。そのまま壱番式「蜻蛉」、九番式「蜂」を残して戦争は終結した。

時は流れ、昭和101年、戦争が終結してから20年が経った頃。戦争を生き延びた人々は、廃墟となり瓦礫や壊れた機械兵の脅威が蔓延る尽天と呼ばれる大型基地からの脱出を試みていた。

ある時、探索班が未開の工廠に挑んでいた矢先、探索班に所属する叶葉という少女が行方不明となってしまう。叶葉は死角にあった大穴に飲み込まれ、存在が確認されていなかった謎の地下施設に一人投げ出されていた。不安に怯える叶葉だったが、彼女はそこで驚くべきものを目の当たりにする。

それは、棺桶のような槽の中で眠る一人の少年と、見上げるほど巨大な機械仕掛けの「蜂」だった。

架空の大日本帝国を舞台に繰り広げられる熱いバトル

昭和108年という元号には色々とツッコミを入れたくなりますけど……w 戦時中から戦後の日本を舞台にしたような世界観です。戦禍に置かれた尽天と呼ばれる基地は廃墟となり残ったのは行き場を失った機械兵のみ、のはずでしたが、戦争が始まる直後軍人以外の民衆は冷凍装置に身を預けて凍らせることで老化を止め、生き長らえました。その期間およそ20年。赤子だった子供が成人する長い時間をトンデモ技術で留め、今再び人間は新たな一歩を踏み出そうとしているのです、みたいな導入。叶葉という少女は尽天の地下で冷凍漬けされていた一人で、荒廃した尽天からの脱出を試みる探索班のうちの一人でした。そこで彼女は、ちょっとしたハプニングで「鬼虫」と呼ばれる兵器と対面することになります。

さて、ここで登場する鬼虫を物凄くかみ砕いて言えば、今回は主人公でもある九番式「蜂」を例に取りますが、「蜂」がガンダムでそれを操る一人の少年がアムロ・レイといったところです。ただし鬼虫の場合はパイロットの少年も機械仕掛けであり、戦力的に見れば生身の人間と一線を画する辺り彼はニュータイプと言えるでしょう。時代を感じさせ硬派な世界観ながらもその実展開されるお話はロマン溢れる機械仕掛けの兵器が繰り広げるスピードアクションで、時代物とSFが混ざり合ったような独特の世界観です。

個人的に面白いと感じたのはやはりこういったロボがスピーディに動き回る戦闘シーンでした。著者の方は本書がデビュー作と思われますが、とてもデビュー作だとは感じさせない文章力で光速に迫るスピード感溢れる戦闘を見事に表現しています。今回の敵である壱番式「蜻蛉」の圧倒的戦力の前に、九曜(パイロットの少年)がどのように立ち向かっていくのかというのも熱く描けていましたし、大日本帝国独特の格好良さといい意味での中二病が混在するラノベにピッタリな世界観を重厚感たっぷりなシナリオにのせて展開させていたのは、純粋に《大賞》 受賞作の面白さに肉迫する完成度だったと言えるんじゃないでしょうか。

機械兵となり人の心を失った少年、天涯孤独で生きる目的を見失った少女

戦争が終わり20年という歳月が流れても生き残っている機械兵。彼らは機械であるが故に老化を知りません。そして彼らは人間のような自由意志を持っているわけではなく、「敵と戦え」という自己の存在意義に根付くプログラムが施されており、その上で自分の全ての行動を決定します。つまり、彼らの行動原理は戦うためにというところから発現するのです。

ここで九曜の場合はどうなのかを考えてみます。彼も機械仕掛けではありますが、機械兵と決定的に違っていたのは彼は“元人間”だったということでした。その才覚を見い出されて兵器である「鬼虫」となった九曜にとって、戦い以外の感情は不要なものでしかなく切り捨てるべきもののはずでしたが、叶葉を含めた生存者と触れあうことで彼の中に眠っていた人間味ある感情が刺激されることとなります。

しかし、それでも九曜は戦いの中で散ることを望んでいました。戦いこそが兵器となった彼の行動原理であり、それが潰えた瞬間こそが存在意義をなくす時だと信じて疑わなかったから。だけど、そんな彼の心を揺さぶる少女がいた。叶葉――天涯孤独な彼女は、尽天を首尾よく抜け出した後の生活に不安を抱えていました。今の自分は仕事を任されているから居場所があるけど、この環境が崩れた時自分はどうなってしまうのか。身寄りもない自分を必要としてくれる人はいるのだろうか。不安に押しつぶされそうになっている“人間”であるはずの彼女に、“元人間の機械兵”である九曜が似た感情を抱くのは必然でした。

「死んだら、嫌です。……あたしが九曜のことを大事に思うのは、だめですか?」
怖くなる、と叶葉はいつか言った。ここでの生活が終わった後でどうしていいかわからないと。
天涯孤独の少女。理由を持たず、ただ必要とされたい一心で働き続けてきた少女。あのずらりと並ぶポッドの中に、彼女と縁を持つ者は誰一人としていまい。彼女と自分は、似ているのかもしれない。九曜は、そう思い始めていた。
彼女には何もない。生きていく意味を見出せないまま、全てが終わった「その後」の空白を恐れている。自分が必要となる場所を欲している。置いていかれるのを恐れている。生きる意味が消えてなくなるのを何より恐れている。
九曜は思う――それは、自分だってそうだったのだ。


エスケヱプ・スピヰド / 電撃文庫 / 九岡望 / 269〜270ページより

人間は、居場所がないとこうにまで弱い存在である。何か確固たる支えがないと生きていられない。九曜はそこで戦いに身を投じる自分を心の柱とするのですが、それは結局逃げでしかなかった。強い信念に基づいて戦う者の目には侮辱とすら感じさせる行為だと、当の九曜は気付けないでいたのです。しかし、そこで九曜は叶葉に出会うことで戦う理由を見つけます。機械兵としてではなく、一人の人間として最大の敵「蜻蛉」に立ち向かう決意をします。それを見極め真剣勝負に立ち向かう蜻蛉もまた格好良く、終盤の二人の戦いは本当に痺れるものでした。魂と魂のぶつかり合いとでもいいますか、物語のラストを飾るに相応しい戦いで読者のテンションも知らず知らずのうちにヒートアップしてしまうのは致し方なしといったところで、構成の妙が光っていたと言えましょう。

総評

久々に《大賞》 受賞作で当たりだったと言えるでしょう。

大日本帝国独特の格好良さと中二病が溢れる魅力的な世界観、スピード感溢れるバトルを描き切るに足る見事な文章・表現力、そして人の心を取り戻した機械兵が真の戦う意味を見出し、それもその理由が「ヒロインのため」という熱すぎる展開は古き良き少年漫画のようで様式美ともいえる面白さ。著者である九岡先生は本書を趣味全開で書いたと言っていましたが、趣味全開だからこそ見事な科学反応を生み出しここまでの完成度を誇る作品になったんだと思います。

本当に熱い作品です。展開も熱すぎて、読み終わった後は読者も燃え尽きてしまうことでしょう。同時に襲ってくる得も言えぬ脱力感。でもこんな心地良い疲れも久々というか、「《大賞》 受賞作ってこうあるべきだよね!」と力強く説き伏せられて納得するしかない事後の様相とでもいうか何というか、とにかく没入しすぎて「疲れたよ!」とただ一言残しておこうと思う次第です。

ちなみに九岡先生、僕と生まれ年が一緒という同世代であることが判明。親近感とも併せてこれからに期待大。

エスケヱプ・スピヰド (電撃文庫)

エスケヱプ・スピヰド (電撃文庫)