ブラック・ブレット―神を目指した者たち

ブラック・ブレット

表紙が格好いいですよねー。この鮮やかな色使いは惹かれるものがあるし、かといってドギツイ印象を与えるわけでもなければ見づらいわけでもない。小説って中身が分からない以上読者への訴求の仕方は限定的ですが、ラノベは特に絵が重要視される媒体故に表紙から得られる情報量は重要だったりします。そういう意味でこの絵師さんは大変いい仕事をしていらっしゃいますね。かくいう僕もジャケットに惚れたクチだったり。

あらすじ

その侵攻は突然の出来事だった。謎の異生物「ガストレア」――様々な生物の遺伝子を取り込むことで異形の進化を遂げた彼らは、圧倒的な力をもって世界を蹂躙した。生きるために選択の余地はなかった。日本は東京を含む5つの都市にモノリスと呼ばれる巨大な壁を形成し、国土の大部分を放棄して半ば立てこもるように身を守ることを決めた。

その悲劇から10年の月日が流れる…

徐々に復興しつつあった日本には、対ガストレア要員として民間警備会社なるものが興り、高校生である里見蓮太郎(主人公)も民警の社員としてガストレアと戦う日々を送っていた。その折、担当したある事件で彼は一人の男と出会う。蛭子影胤(ひるこかげたね)と名乗る男は彼にこう言い放った。

「私は世界を滅ぼす者。誰にも私を止めることは出来ない」

つかの間の平和に、影が差し込もうとしていた。

圧倒的存在であるガストレアと人間が戦うという構図

何となく既視感を覚える設定だなぁと思っていましたがアレですね、進撃の巨人』とよく似ています。人類の敵として現れ、人を赤子同然に弄ぶ圧倒的力の差をもって追い込み、人類は壁の中に逃げ込んで立てこもる。細かい設定に違いはありますけど大筋はほぼ一緒と言っていいと思います。個人的にこういう設定は大好物。突如として表れた異形の存在に人類が死力を尽くして立ち向かっていくというのは、自然とこみ上げてくる熱いものがありますよね!

唯一違う点としては、本書には「呪われた子供たち」というガストレアウィルスを体内に含んだ子どもたちが存在していることが挙げられます。彼女らは10年前の悲劇で母体が取り込んだガストレアウィルスの影響で、人間にしてありながらガストレアが持つ遺伝子も組み込まれている言わば人間とガストレアのハーフ的存在であり、10年前の悲劇であらゆるものを「奪われた世代」としては煙たがられている差別的対象となっている一方、皮肉にもそのガストレアウィルスの影響で人間離れした身体能力を会得したスーパーチルドレンでもありました。彼女らはその能力を買われて、民警のイニシエーターという立場で人間のプロモーターとタッグを組み、ガストレアと戦っていく存在として描かれています。

主人公である蓮太郎はプロモーターであり、ロリヒロインとでも言うべき10歳児の藍原延珠(あいはらえんじゅ)はイニシエーターです。ここで勘違いしてはいけないのが、この二人の関係は『ポケモン』とは違うということ。プロモーターはトレーナーではなく、タッグチームとして実際に共に戦う存在であり、プロモーターにも当然格闘技術は必要とされているわけです。こういった背景から、『進撃の巨人』がその圧倒的力の差をもって人類を蹂躙することで途方もない絶望感を描いている一方、同じ絶望感でもイニシエーターという存在を抱えている『ブラック・ブレット』は、その人間離れした身体能力を持っているという設定上バトルがもっと中二的で、またプロモーターとのタッグ戦を意識した戦いに重きが置かれているのが特徴です。

このバトルはなかなかアツいですね。ジャンル的に異能力バトルにカテゴライズされそうな本書ですが、登場するイニシエーターの能力も様々で、尚且つイニシエーターには女の子しかいないという設定上どうしようもなく惹かれるものがあります。さらにタッグチームには「IP序列」という言うならば「強さのランキング」的なものが存在し、低ランカーである蓮太郎&延珠ペアがハイランカーに挑むというお約束な構図も用意されていて物語を盛り上げます。

ガストレアの危機から人類を守ると同時に差別の対象でもあるイニシエーター

10年前の悲劇は未曽有の被害をもたらし、それを経験した「奪われた世代」の人々が持つガストレアへの憎悪には凄まじいものがあります。それは当然同じガストレアウィルスを持つイニシエーターの少女たちにも向けられるものであり、彼女たちは酷い差別を受ける対象でした。かくいう蓮太郎もガストレアに両親を殺された被害者の一人なんですが、彼は延珠と共に暮らしていくことで、彼女たちは遺伝子レベルでは人間ではなくとも人の心を持ったまだ幼い子供でしかないということに気付きます。

「恨んでいたさ! 八つ裂きにしても足りない。ガストレアも、『呪われた子供たち』もみんなこの手でぶち殺してやると思っていたッ!」
「ではなぜだ!」
「アンタは彼女たちと一人でも接したことがあんのかよ? 彼女たちはつまらないことで泣き、笑い、スネて、柔らかくて人間のぬくもりに満ちている。彼女たちが虫けらだと? アイツ等は人間だ。俺は――里見蓮太郎は藍原延珠を信じる!」

そもそも彼女たちがいなければガストレアの侵攻を止めることはできないのに、それを知った上で怨念めいた思いをぶつけてしまうという矛盾。こんな国のために戦う意味はあるのかと自問する蓮太郎の葛藤には切なくも共感できてしまいましたが、延珠を始めとした「無垢の世代」が戦うことでしかその存在を証明できないという現実はあまりにも残酷でやり切れません。でもそれを理解している蓮太郎だからこそ延珠との絆には確かなものを感じさせ、また蓮太郎に好意を寄せる延珠が本当に無垢でかわいくて、まだ救いがある世の中で良かったと思わずにはいられませんでした。

後半の展開は正直不満だらけ

……とまあここまでは読んでいて非常に良かったんですけど、後半の展開には正直閉口してしまいました。とにかく怒涛の展開すぎて、都合の良い着地点めがけて突っ走っている感がどこまでも拭えませんでした。圧倒的存在として人類に絶望を振りまくガストレアとの決着が、そんな形でついてしまうのは今まで積み上げてきた物語の重みを容易に瓦解させ、興醒め以外のなにものでもありません。愛は世界を救うってことなんですかねぇ…まあネタバレになるんで詳しくは書きませんが、『進撃の巨人』でいえば恐怖の象徴たる超大型巨人が現れた瞬間禁断の隠し兵器を使ってあえなく撃破しちゃいました!という具合で、引っ張り方が足りなくてあっけなさすぎるのです。

要は比率の問題で、ライバルである蛭子影胤との死闘があれだけアツく描かれたにも関わらず、その後の脅威に割かれたページ数が少なすぎて、結果的に蛭子影胤との戦いも含めて作品全体に大味な印象を持たせてしまっています。正直1巻でここまで描く必要があったのか甚だ疑問です。続編前提の終わり方をさせるならば、もうちょっと余裕を持って物語を進めるべきじゃなかったのかと素人ながら思いました。そうすれば作品全体への印象も変わるし、何よりガストレアの脅威にもっと重みを持たせることができたはずです。うーん、至極残念。素材がいいだけにもったいない。

総評

惜しい作品ですねー。設定が大好物だっただけに期待が大きかったことも起因してか、後半のガッカリ感は結構なものがありました。これさえなければ…と僕自身残念でなりません。ただまあ絵も含めて描かれる世界には魅力的な要素も多く、肝心のバトルは作家さんの真に迫る描写もあってアツい展開が多いですし、見せ方も上手いです。さらにロリヒロインの延珠、蓮太郎が所属する民警の社長さんであるおっぱい要員こと天童木更(てんどうきさら)など、絵の力もあって女の子はかわいく描かれておりラノベとしてそこは合格点あげちゃいます。でもちょっと木更さんの出番少なすぎるでしょ!おっぱいも登場させなきゃただの脂肪で終わってしまうんだから頼むよ!あ、いえ、もといどうかお願いします!結構好きなんです木更さん!

……ちょっと取り乱しましたが、どちらにせよ素材に光るものはあり個人的にもガッカリ感はあれどそれなりに楽しんだ部分もあるので、まだ様子を見ようかなと思います。ラストの展開から悲しい物語となってしまうのか分かりませんが、この作品が持つイニシエーターの宿命がどのような着地を見せるのか個人的に注目です。