ベイビー、グッドモーニング

あらすじ

人の死の直前に現れるという死神がいるらしい。そいつはローブを羽織って鎌を持っているわけでもなければ、白骨化した馬に跨っているわけでもない。にわかに信じ難いことだが、その正体はデニムのミニスカートをはき、白いTシャツを着た肌の白い女の子だという。趣味は携帯電話でプレイできるオセロ。死神を生業としながらも、世間で言われているような死神像とはかけ離れた少女だった。

ここには4人の男たちの物語が紡がれている。病に苦しむ15歳の男の子、自分の作家人生に絶望した小説家、世の中を幸せで一杯にしたいと意気込む青年、かつてサーカスで働いていた老人。それぞれの人生を送っていた彼らの前に、その女の子は唐突に現れた。

人の生きることを描いた物語

凄く、優しい物語です。人が死んでしまうお話ではあるんですけど、悲しみと同時に希望が見えるような、暗闇の先に光があるような、そんな安心感に包まれています。

人は、「死」の本質について永遠に理解することはありません。死んだ者の声は聞こえてこないし、死後どうなるかについて考えても経験しないことには分からない。だから「死」について考えることは少なく、裏返しにそれは「生」について考えることも少ないと言えます。そうなると、人は生きることの尊さを忘れがちになってしまう。そして、自分が生きている意味を正しく見い出せなくなってしまう。故に無気力になってしまったり、迷ってしまったりするのです。

そんな人々の前に、突然死を予告する死神が現れたら、どうなってしまうのか。

ある少年は、とても重い病にかかってしまい、生きることへの興味を失っていました。ある作家は、今まで積み上げてきた作家人生を象徴するペンネームを捨て、自分の書きたい文章に迷いを感じていました。ある青年は、継続力がなく諦めてばかりのなあなあな人生を過ごしていました。ある老人は、友人の死に直面した孫のために道化師となりました。

死神が現れてからの彼らに共通しているのは、潜在的にこの世に未練を残しているということです。死を宣告されて去来するのは絶望感、虚無感、そしてその後に未練となります。……そりゃそうですよね。生きている今こそが当たり前だったのに、急に「あなたはもう間もなく死にます」なんて言われたら、遠いはずだった「死」が一気に現実的なものに見えてきて、何も考えられなくなる。そして、自分には生を授かっている内にやらなければならないことがあると、やらなければ一生後悔すると、自然とそういう考えに至る。

こういう状況、つまり死を目前にして未練を残している人間というのは、この世の誰よりも“生きる”ことを自分の正しいと思うように真っ当します。そういった人たちの活力は驚くべきもので、自分の苦手としていることにも立ち向かっていき、現実的には考えられないような奇跡を起こす。生への渇望が、未練への執着が、“生きる”ことの尊さを何より体現するのです。そうして彼らは己の人生に幕を下ろしながらも、彼らの起こした奇跡が、生きている者たちに多大な影響を与えることとなります。死が、次なる生へと繋がるのです。

人が死ぬと同時に、新たな生が育まれる

僕は『サクラダリセット』を読んでいないので、河野先生の作品はこの『ベイビー、グッドモーニング』が初めてということになるんですが、今回読んでみて感銘を受けました。というのも、物語が若干の悲しさを滲ませながらも優しい雰囲気に包まれていて、そして何より「生」と「死」に対する解釈がとても素敵だったからです。

「もし私が魂を回収しなくても。もしこの世界に、魂をリサイクルするようなルールがなかったとしても、同じようなものです」
月明かりに照らされて、死神の少女は、いつの間にか仄かに微笑んでいる。
「新たな命はいつも、それは絶望的なくらいに、どうしたところで死者たちの影響から逃れられない場所に生まれます」
訳がわからないまま、胸が苦しくて、私はシーツを握る手に一層力を込める。
月光に照らされて微笑む死神は、なんだか美しく見えた。
不吉なものよりも、もっと神聖な。天使か、神さまのように見えた。


ベイビー、グッドモーニング / 河野裕 / 305〜306ページより

死んだら何も残らないなんてそんなことはなくて、人は死んでもなお生きている者たちに影響を与えます。そして影響を受けた人々を始まりとして、間接的に世界中にその影響を残すこととなります。その死者の人間性によって生まれた影響の積み重ねの元に、新たな命は生まれるのです。死と生が表裏一体であるという考え方は、必ずしも死を悲しみだけに包まれた事象と捉えるものではありません。仏教にも「輪廻転生」と呼ばれる考え方がありますけど、死というものが何なのか生きている我々には分かりようがない命題であるならば、そういった解釈でいることによって、身内や親しい人の死にも、悲しみを乗り越えた先に新たな希望を見い出すことができるように思えます。

僕も大学1〜4年の間に祖父母が4人全員他界しました。死んでしまったら2度と会えることはないために、大きな悲しみに包まれたのを覚えています。だけど、物事はそれでは停滞したままなんです。僕の祖父母は何を残してくれたのか、それを考えて己の糧とし、共に生きていくことが大事だと改めて気付かされました。……あーなんか思い出したらちょっと泣けてきた。しんみりしちゃいますね。

総評

人が生きるとはなんなのか。人は死ぬ時何を残せるのか。そんな人間の生き死にがテーマとなったお話。

死を運んでくる死神が、人にその目前に迫った死を原動力として新たな活力を与えているのは、なんだか面白い矛盾です。魂を回収して新たな生へと繋げている彼女は、死神というよりは産神と言った方がシックリくるような気がします。

この感想文を読んだ人、通りがかりにたまたま見た人の中で、もし身近な人の死で悲しみにくれているのならば、是非本書を読んでみて欲しいと思います。死に対して悲しみが生まれるのは避けられないことで、それは人生の中でも際立って重く自分にのしかかるものでしょう。しかし、同時にその人の生きた証は永遠に自分の中で生き続け、そしてその影響は自分に、子どもに、孫に……と固く受け継がれていきます。

「人は、魂は、死よりも強固である」――こういう風に考えてみると、時代が流れて人が生死を繰り返していくというのも、何だか素敵なことに思えますよね。